待ち合わせの時間まであと30分。杉崎は「バンコクの歌舞伎町」パッポンのナイトクラブで、ある人物と落ち合うことになっていた。深夜まで観光客が徘徊、路上を埋め尽くすナイトマーケットに、一時よりは勢いがないがそれでもまだこの街の印象を決めている風俗店と、いかがわしいパブ、すっかり市民権を得たニューハーフクラブ。接待やミールクーポン・トラヴェラー向けのくだらないレストランが軒を並べる一方で、まかない飯の延長線上のような旨い飯を出す店もある。そんなパッポンを相手が指定してきた。杉崎は軽くため息をつき、
「らしいチョイスといえば、らしいチョイスだな」
と独り言。いずれにしても、それまでにこの手紙は書き終えておきたい。
拝啓でもなく、前略でもなく、書き出しは軽いものにしよう、と杉崎は思う。日本語の修飾で自分の本心を隠すことのないように。自然にそんな気持ちになれた。
23年ぶりのバンコク。
大学生らしい行動、杉崎は海外放浪という若気の中にいた。バンコクへ行って、そこから格安チケットを買って蓄えがなくなるまで旅をする。思えばあのころの自分は、実にわがままだった。本音と理想だけで前しか見ていなかった。計画? そんなものになんの意味があるのか。
バブルに日本が浮き立つ直前。4年後、バブル入社組というレッテルの中で就職することになることなど、杉崎に予測できるものではなかった。いや、予測できなかったのは、バブルという時代の到来だけで、自分が唾棄すべき存在ととらえていた会社組織の一員となることについては、予測できないのではなく、予測したくなかった。
自らが置かれた状況、環境、もっと強く言えば自分に与えられた宿命を考えれば、わがままも本音も理想も、今だけのもがきでしかありえないこと。それを認めたくなかった。杉崎はすでに決められた会社に入らなければならない。タイのゴールデントライアングルでも、アンコールワットでも、ベンガル湾の夕陽を浴びるインドの小さな漁村でもなく、それが杉崎のディスティネーションだった。今はただ、現実逃避というトランジットの時間に過ぎないのだ。
ハーフボトルのモエ、最後の1杯をグラスに注ぐ。フルートグラスから立ち上る香りを軽く吸い込む。テキーラのショットのようにグイっとあおり、喉に流し込む。ゴクリという喉を上下する音がなんとも心地よかった。目を閉じ軽く息を吐き出すと、杉崎は一気に万年筆のペン先を滑らせ始めた。
迷いなど、彼女との西麻布の夜からとっくになくなっていたが、今、杉崎は、本当に全てから解放されたような気持ちになった。晴れやかだ。窓の外、ようやく夜が近づいてきたバンコクの灯りが、デスクを静かに照らし始めてきた。
バンコクの18時は東京の20時。ディナー前の「とりシャン」と22時からの「〆(しめ)シャン」の間の時間。いつもは客の会話がBGMになる恵比寿のシャンパン・カフェに空白の時間。『G線上のアリア』のラウンジミュージックアレンジが流れる。彼女の前には、グラスに注がれた
ジャック・セロスと…杉崎の妻の美しい顔。