『チャーリー』、新しいパートナーと輝く
1851年創業。品質と共に、企業家シャルル=カミーユ・エドシック、通称『シャンパン・チャーリー』の自由闊達な発想と行動力により、名声を勝ち得たシャルル・エドシック。「みんなロシアに向いてるなら、僕たちは未開のアメリカでどうだ!」「ぶどうは信頼関係があれば供給してくれる。それよりも買うべきは良質のクルイエール(天然貯蔵庫)だ」。ビジネス、ブランド作りにシャンパーニュ自体へのこだわり。その姿勢は今でも生き続け、「しっかりしたパートナーがいない国に進出してもしょうがない」「そもそもスタイルを変えてまで増産してもしょうがない」とのポリシーのもと、アグレッシブな海外展開はしてこなかった。日本でも以前は多少進出の兆しはあったけれど、それは様子見程度のものだったのだろう。
日本の愛好家も半ばあきらめていた本格的な日本進出だが、2015年『シャンパン・チャーリー』は新しいパートナーを手を握り、颯爽と、しかしさりげなく日本への本格的な上陸を発表した。パートナーは日本リカー株式会社。今、ワイン業界で華々しい話題をふりまいている日本リカーが、シャルル・エドシックを選んだ理由。竹内社長にコメントを求めると「ファインワインを世界から、というわが社のモットーの中で、シャルル・エドシックのような良質で際立ったブランドは、ポートフォリオの中にあってほしい存在だったんです。目先の数字を追いかけるつもりはありません。5年、10年、30年と良い関係を続けていくことが第一」との回答。
そもそも品質を追いかけるために100以上あったクリュを60に絞りコントロール。40%を使用するリザーブワインは平均10年。その後3年熟成させることを考えると、ノンヴィンテージながら14年ほどの時間を経て我々の前に現れる。そもそもがいくら日本リカーの販売網をもって営業に当たっても、簡単に増産ができるものでもない。もちろん、ほぼ愛好家の手にしか渡らなかったチャーリーが、より広く親しまれるようになることは確実だけれど、それでもまだ出会えない人も多いだろう。だから、さりげなく。チャーリーは「日本に来たよ、いいバディができたんだぜ」とそんな風情で現れた。
最初の飲み口は、さわやかで小気味いい、上品なパンチ、平手打ち。キレもよくて痛快。しかし、恐ろしいほどの複雑さをもった余韻が長く長く続く。次の一口と、グラスに手を伸ばした瞬間にも「まだ話したいことがあるんだよ」といいたげなチャーリーの笑顔、それが余韻とともにという錯覚。午後、爽やかに握手をして別れたはずなのに、夕焼け、チャーリーの笑顔と背中を思い出す。いい場面じゃないか、とグラスの中のきらめきに微笑みかける。「ようこそ、日本へ」。一緒に楽しもう。
チャーリー、日本再始動を祝して、日本リカー竹内社長とシャルル・エドシック元社長であるロブ・レムナントさんの乾杯。