体験、成長、年月を重ねてもう一度あのシャンパーニュと出会う
~フィリポナが教えてくれたこと
自分のあのころの印象や、そのときに得た知識のアップデートの必要性を痛感した時間だった。痛感といってもそれは痛々しい時間ではなく、なんとも幸せなもので、香り、味わい、余韻、語り部に心地よく酔わされながらのもので、しみじみと、じんわりと感じさせられたものだった。僕らは年齢や経験によって変化していく。考え方、積み重ねったり広がったりした知識、舌も変わるだろう。加齢による体の衰えだってむしろ新しいものとの出会いを生む肯定的なものと思ってもいい。加齢は老化ではなく熟成ともいえるし、だからこそわかり、感じられる発見もある。一方で、記憶のアーカイブにしまい込んだまま、出会ったころのまま変わっていないものもある。美しい思い出が明日の元気になるのならば無理にその引き出しを開ける必要はないのだけれど、逆に、しまい込んだままで自分の美しい衰えや新しい出会いを得られないのももったいない。
フィリポナは、僕にとって、ある意味でアーカイブにしまい込んだままのシャンパーニュだったように思う。10年以上前、シュワリスタ・ラウンジでは、現当主シャルル・フィリポナ氏のインタビューの機会を得た。
シャンパーニュ | sH レポート「『フィリポナ』生産者インタビュー」
このインタビュー記事は僕のものではないが、担当した者にとっては素晴らしい時間だったようだ。立ちあがったばかりのメディアに対してもシャルルさんは丁寧に語り、優しい対応してくれたと、初対面の感激を伝えてくれた。
ただ、この記事にあるように、当時の私たちの興味は、シャンパーニュにおいて2つだけ許された、単独畑名を商品名として記すことができる希少なアイテム『クロ・デ・ゴワス』(当時の表記はゴワセ)であった。定番NVの『ロワイヤル・レゼルヴ ブリュット』についての紹介には重きを置いていなかった。定番NVは、当時、年齢的にもシャンパーニュに対してもアグレッシブだった我々の当時の感覚を思い出せば“丁寧だけれど刺激がない”というものだったからだ。ピノ・ノワールの聖地に拠点を置き、ブジィ、アンボネイ、アイの、まさに、シャンパーニュのピノ・ノワールの魅力を振りまくブドウを使っているにも関わらず、当時我々が求めていたピノ・ノワールの世界ではなく、どこか品が良く、おとなしい。それ以降、ロワイヤル・レゼルヴ ブリュットをはじめとするフィリポナのシャンパーニュを積極的に選ぶ理由もなかった。たまに真面目に丁寧に料理を出す、飾らない場所にあれば「ちょうどよい」。逆に言えば口説いたり、華やかなパーティーの場にあえて登場させる存在ではなかった。そのまま、引き出しに入れたままだったのだ。
その引き出しを開ける機会がきた。引き出してくれたのは、同じくシャルルさん。2023年から日本での取り扱いを始める新しいパートナーのメンバーとともに。設けられた場は、華やかなローンチパーティではなく、少数のジャーナリストたちとともに。
まず『ロワイヤル・レゼルヴ ブリュット』を味わう。違う。“丁寧だけれど刺激がない”ではなく“丁寧だからこそ刺激的”。アロマは静かに立ち上がり、すぐに花開く。ジューシーという広がりではなく、あくまでも慎ましやかだが、その奥に濃密で色とりどりの花がひしめくフラワーボックスと凛とした風合いの蜂蜜が感じられる。昼の陽光が差し込むテーブルだったけれど、思わず引きこまれる感覚。味わいは赤い小さな果実のフレッシュさから、食欲を誘う軽やかなパンの余韻へ。鮮やかさと深みが交互にやってきて、次第にスケールを広げていくけれど、ちゃんとそれが薄皮一枚のエレガンスさの中に納まっている。ピノ・ノワールらしい力強さ、熟成感がしっかりあったうえで、匠で繊細さの中にそれを閉じ込め、グラスに注げば目覚めていく。
2016年ヴィンテージのブラン・ド・ノワールは、さらにピノ・ノワールのパワーと、フィリポナの匠による繊細さのコントラストが際立つ。際立つのだがそれが一体化し、同じ世界の中で共存していく。アロマも味わいも、エレガンスの中からトロピカルな果実の鮮やかな甘味と、コク。そこに爽快感も。艶と煌めきと鮮やかさ。以前は真面目さ、丁寧さと言う文脈で、シュワリスタらしからぬ普通のレビューを書いてきたが、テイスティングのメモには、いよいよシュワリスタらしく“フランスラグビーのイケメン10番のような、艶っぽさと敵を出し抜く狡猾で、それこそが美しき悪魔のような煌めき”なんて、言葉が弾む。この時点で、もう、あのころの勝手に描いていたフィリポナではなかった。
続くキュヴェ1522 2015年ヴィンテージ。フィリポナ家、500年の歴史へのオマージュと銘打たれ、アイ村へと定住し、アイとディジーの間にあるル・レオンの畑を所有した1522年を記念したキュヴェのテイスティングに進むと、さらに言葉は止まらない。ル・レオンの畑で栽培されたピノ・ノワール70%とヴェルズネイのシャルドネ30%をアッサンブラージュ。エクストラブリュット(4.25g/L)で6年間熟成。このデータだけでもフレッシュさと複雑さの同居が想像できるが、弾んでしまった言葉では“ル・レオン=ライオンの名前のように、雄ライオンの風格と余裕、時に陽だまりでの居眠りのような緩やかで堂々とした雰囲気に、雌ライオンの快活で俊敏さ、草原を駆け抜ける疾走感”なんて弾みすぎな言葉が書かれている。つまりは、味わって驚いたということだ。レモンなどの黄色系の鮮烈な柑橘よりも、ブラッドオレンジ系の肉厚な柑橘、それを引き締まるようなブラックペッパーのニュアンス。芳醇さと引き締まった骨格に、長く味わえる酸がからみあう。繊細な旋律からパワフルでとめどないグルーブにつながっていくと、再びスパイスやペッパーが小気味よくあらわれ、それが繰り返されていく。スケール感も大きくなるが、それでも品格は保たれる。言葉はさらに弾み“王宮の弦楽四重奏が奏でるレッドホットチリペッパーズ”。嬉しい混乱だ。
キュヴェ1522は2003年のマグナムで供された。世界は一変する。世界で名を馳せる技巧も華やかさも抜きんでた、さきほどレッチリを奏でていた4人組が、田舎の小さなレストランの結婚式にやってきて、ボサノヴァを軽快に奏でる。次の曲はジャック・ジョンソン。温かみと清涼感、心の底からハッピーでのんびりと流れる時間。2015年のところどころで荒ぶる感覚はすべて落ち着き、荒ぶっている要素があったからこその変化という表情をみせる。肉感的要素、疾走感が時の変化の中にすっと溶け込み、味わい深さを増す。500年の歴史を豊かに、曲がらず刻んできたフィリポナだからこその時間、年月のマジックなのだろうか。
引き出しを開けてこなかったことを不覚だったとは思わない。あのころ、より刺激や発見を求め、次々と新しい出会いを求めていた。それはシャンパーニュに対しても同様だった。おそらくあのときの自分にはフィリポナの良さはわからなかった。今だからこそ、気づけた凄み、刺激。静かで真面目という印象はそのままに、その奥に感じられた匠であり、フィリポナが持つ畑で育まれるピノ・ノワールの魅力であり、その組み合わせによる心地よい混乱があった。変わらないフィリポナの哲学と技巧とテロワールへの思いに、ようやく気付けた喜び。自分の人生や日々、どのタイミングでどのメゾン、どのシャンパーニュと出会うのか。人との出会いと同様、タイミングって実に面白い。引き出しを開けてくれたことに感謝し、これからもフィリポナを探っていくとしよう。
Text by Daiji Iwase