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REPORT

アイと日本を結ぶ愛の泡

限定300本、日本新発売となるシャンパーニュ「Les Bulles d’Amour GRAND CRU レ・ビュル・ダムール 2022 グラン・クリュ」のローンチイベント「FLRAME et CHAMPAGNE Les Bulles de AY -TASTING PARTY~炎と泡と鮨」が、2月15日に開催された。

イベント名にあるように、新作シャンパーニュと神戸のインテリア会社であるTBJインテリアデザイン建築事務所がプロデュースする「FLRAME(フレイム)」という屋内用のモダンな暖炉とのコラボイベントなのだが、その背景がユニークだ。
DSC00903まず、「レ・ビュル・ダムール」を造るのはアイ村に本拠地を置く「アンドレ・ロジェ」。1876年から栽培、シャンパーニュ造りを開始。当初は、同じアイ村のボランジェなど含めた大手メゾンへブドウを提供することのほうがメインだったが、1968年、4代目当主が自からのシャンパーニュ造りに注力、現在は5代目当主が引き継ぎ、アイ村のテロワールを生かしたシャンパーニュを送り出している。

□アンドレ・ロジェの過去レビュー記事
シャンパーニュ | 特集「今宵、アイを語る 至高のピノ・ノワールに酔う、浸る、語る」

この5代目当主が、「レ・ビュル・ダムール」のディレクターを務めるエミリン・ペランさんの叔父にあたるのだが、ある種、偶然と偶然が重なる、シャンパーニュと日本とを結ぶ数奇な物語が始まりだった。
DSC00873もともとシャンパーニュの中心地であるランスで生まれたエミリンさん。幼少のころ両親とともに東部のナンシーに移り住んだ。エミリンさんは15歳の頃から日本に興味を持った。理学療法士を目指して勉強をしていたが、日本への関心は高まり日本行きを決断した。

「最初は京都大学に行きたいと思っていましたが、神戸大学が、先に交換留学を受け入れていたので、神戸の街に住み、そして神戸がとても好きになりました」

来日した際の印象を、キラキラした瞳で振り返る。

「最初から、日本はすごかったです。文化のことを勉強していたので、着いたときには、あぁ、学んできた通りだって、うれしかったです」
神戸の大学院での学びは順調だったが、卒業後の進路は予定通りとはいかなかった。

「特別な資格が必要なのと日本語のレベルが一番高くないといけなくて、日本で理学療法士として仕事をするのは難しい。別な仕事を探して、英語教師を選びました」

ちなみにこのインタビューは通訳を通さずに行われた。「」の中のエミリンさんの言葉はすべて日本語。構成上多少手はいれているが、エミリンさんの日本語のスキルとセンスは十分。それをもってしても、命を目の前で預かる医療系ではより高いレベルを求められたのだ。
DSC00769ここから話は急展開する。おりしもこの時期は新型コロナウィルスの世界的なパンデミック。日本で英語教師を続けるという選択肢はありつつ、一旦、フランスへ戻ろうとしていたエミリンさんだが、フランスへのフライトは止まったまま。好きな日本、来日して好きになった神戸の街にいられるとはいえ、人生の分岐点としては不安な毎日を送ることになる。

そんなときに出会ったのが、今回の「FLRAME(フレイム)」を手掛けるTBJ代表の北村和康さんだった。2022年、ここから思わぬ形でプロジェクトははじまっていく。北村さんが振り返る。
DSC00878「私たちはエミリンにフランス語を教わっていました。フランスに帰れないという時期に、“神戸には灘の酒蔵がある。神戸の料理に合わせた美味しい酒がある。エミリンもそういうシャンパーニュを造ってみたら?”という話をしていたんです。最初は半分冗談でもあったのですが、私のオフィスにはひと席空きがあって……」

話は本気モードへ。

「オフィスも使えるし、本当にシャンパーニュ造っちゃったら? ビザはこっちでも取得できるかも、と話が進んでいきました」(北村さん)
エミリンさんも、それならと、5代目の当主である叔父さんとzoomで会話。思いを伝えると、「日本のためにそういうプロジェクトができるのは面白いね」と快諾。

「叔父は喜んでいましたね」とエミリンさん。「特別に区画を用意してくれると言ってくれました。私たちは、もう、えーーって驚きました」。
DSC00813もちろん、エミリンさんはシャンパーニュ造りの大変さであったり、精神性はよく理解していた。

「叔父が畑を大切にしていたのを見てきました。毎年、収穫の時には家族で畑に行きました。お母さん、妹たちは皆さん用の料理づくりを手伝ったり、友達も集まって協力して。大きな力を使わなければいけないときですから」

エミリンさん自身、収穫ではハサミを入れた。

「シャンパーニュはリュクスなもの。ブドウはきれいなものでなくてはいけません」と畑の光景を思い出しながら真剣な表情を見せる。

プロジェクトがかんたんなものではないということは十分承知していながらも、一度心にともった炎はもう消えることはなかった。

「ドライで、日本の食事に合うシャンパーニュを造りたかった」とエミリンさん。

特に地元・神戸の食とのペアリングにはこだわりを見せる。神戸の鉄板焼きレストランでのセミナーでは神戸牛を含むローカルな食とのペアリングを行い、参加者もエミリンさん自身も確信を深めたという。
DSC00776アンドレ・ロジェのグランクリュ・アイ100%のブラン・ド・ノワール。樽熟成。その情報だけで言えば「強さ」や「骨太」などのワードも浮かぶし、7g/Lというドザージユも、数字だけ見て、日本的に言えばドライというよりはふくよかな印象。いわゆる神戸ビーフとの相性は足し算的にはありなのかなという印象だったが、味わってみるとその印象はうれしい混乱に変わる。

「強さ」や「骨太」は確かに最初の印象には訪れるが、それは芯の強さに代わり、続く印象はふわっと軽やかで、甘みよりももっと繊細な、静かな微笑みとかわいらしさが表れてくる。ゆるふわではなく、しっかり芯はあるから、そこにアイならではの土の強さがあって、その上でそこから咲く初夏の花や、春の晴れた空のような軽やかな心持ちも一緒に感じられる。

神戸や兵庫、淡路の海の幸や山の恵みにちょっとだけ手を加えて。タコ、白身魚から、春の山菜に秋のジビエ、繊細な出汁……、神戸ビーフに隠れた神戸、兵庫県産食材のいろいろが頭に浮かぶ。ふわサクな天ぷら、日本ならではの海の塩との柔らかな組み合わせもいい。と、同時に、神戸の街中、港からの風が少しだけ感じられる、まだ爛漫の春には早い初春の少し肌寒さもあるテラスでの夕方のアペロなんてシーンも。その部屋の中に、なるほど、「FLRAME(フレイム)」の炎とのペアリングか。

神戸の食文化はもとより、ライフスタイルや風景と寄り添う。ある種、これは広義のテロワールではないか。アンドレ・ロジェが伝えるアイそのもののテロワールに、エミリンさんのこのャンパーニュが“神戸にある風景”というイメージを落とし込むことで、広義のテロワールも加わる。

飲み手であるこちらのイメージも広げてみよう。横浜、函館、長崎という坂のある港町のテラスだったらどうだろう? 海、山、都会の幸が集まる街、例えば金沢や福岡だったら? あるいは初夏の軽井沢は? 今回のイベントの会場となったのは隅田川沿いのスタジオ。東京だとどこで、誰と、いつ? いつのまにかこのシャンパーニュはいろいろな想像を広げてくれていた。アイらしさとか、新しいラグジュアリーシャンパーニュとかではなく、「日本を愛した一人のフランス人が思い描いた日本」という作品に出合った喜びだ。
DSC00867プロジェクトはエミリンさんの人生にも新たな喜びを加えた。

「家族の物語も含めて、改めてシャンパーニュを学びました。家族と、シャンパーニュと遠く離れて日本に来たのですが、近くにあった時よりも、むしろ、今……、フランスにいたときよりも逆に、家族とシャンパーニュにすごく近づきました。すごくありがたいです」

「日本に来なかったらフランスでそのまま理学療法士。シャンパーニュは造っていなかったと思います」

果たしてエミリンさんのこれからの人生において正解がどちらにあるかはわからない。ただ、日本に行きたいという小さな炎が、パンデミックの不安や厳しい現実で、むしろ強く大きくなり、いろいろな出会いが追い風となり、ひとつの作品が生まれたという事実がある。

「FLRAME(フレイム)」は額縁のフレームと炎のフレイムの造語とのことだが、このシャンパーニュをグラスというフレームに入れたとき、清らかで繊細、ふわっとした風合いの奥に、力強い炎が感じられるかもしれない。アイの炎、愛の炎とまで書くと大げさな表現になるかもしれないが、いずれにしても物語のあるシャンパーニュと出会うことは楽しい。直訳すれば愛の泡という名前のシャンパーニュ。少し意訳して、「アイと日本を結ぶ愛の泡」として紹介したい。

公式サイト
https://lesbullesdeay.jp/

Text by Daiji Iwase

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