クロード・モエを幹にして広がっていくモエ・エ・シャンドンのファミリー・ツリー。地下セラー入口で見られます。 |
1700年頃、泡立ち華やかなシャンパーニュは、ヨーロッパ中の王族、貴族を魅了し、その人気を広めていました。しかし、安定して供給することは難しく、誰もが専業としてシャンパーニュ・メゾンを経営することのリスクを恐れていました。その中でクロード・モエは、周囲からは冷ややかな視線の中シャンパーニュを経営の柱にすることを高らかに宣言。シャンパーニュというお酒にとって、これは歴史上の大きな転換点でした。
2代目 クロード・ルイ・ニコラ・モエの時代、ルイ15世を魅了したポンパドゥール夫人がこのシャンパーニュを愛しました。パリの北、後にルイ16世とマリー・アントワネットのドラマの舞台ともなるコンピエーニュ城にて愉しむために、毎年5月、200本のシャンパーニュを夫人がオーダーしていたという逸話が残されています。
3代目 ジャン=レミー・モエは、皇帝ナポレオンとも親交が深く、皇帝は幾度と エペルネを訪れ、戦利品をジャン=レミーのもとに届けていました。皇帝がその座を降りた後、戦後補償の一環でシャンパーニュは搾取の対象となり、ジャン=レミーはその最大の被害者となりました。 |
王室、著名人など時代のビッグネームが並ぶ創業時期の来訪者リスト。
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