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sH レポート
業界向けの試飲会やイヴェントの模様、インポーターやメゾンの話題などを、シュワリスタ視点でレポートします
Vol.17
09.5.15 up

『フィリポナ』
生産者インタビュー

text: 編集部 photo: 編集部 五十嵐豊
取材協力: 全日空商事株式会社

sH エクスクルーシヴ インタビュー

【フィリポナ概要】
フィリポナ社は1522年にアイ村に移住以来、500年近くにわたる長い歴史があるシャンパーニュハウスです。18世紀以降マルイユ・シュール・アイ村にセラーを造り、現在ではここを本拠とし、16代目当主シャルル・フィリポナ(以下CP)により伝統が引き継がれています。特徴は、ピノ・ノワール種のブレンド比率が高く、全てのボトルに口抜き(デゴルジュマン)の年月を記載しており、最良のタイミングで熟成を止めた時期を明記することによって、消費者に対しその高品質の証を提示しています。最高級品「クロ・デ・ゴワセ」は単独畑名を商品名とする希少なシャンパンとして世界中のシャンパン愛飲家に認知されており、『シャンパーニュにおけるロマネ・コンティ』とも称されています。

16代目当主シャルル・フィリポナ氏は、細かな気配りや応対がとても心地よい方でした。今回シャルル氏には、特にクロ・デ・ゴワセの知られざる秘密に迫ってみました。

最初にフィリポナ家の歴史について簡単に教えていただけますか。

CP: フィリポナ家はファミリーで16世紀にはすでに、畑を耕しワインを造っていました。私達の発売しているシャンパーニュで、キュヴェ1522というものがありますが、これは私たちファミリーがシャンパーニュに住み着いた年なのです。その後アイ村からマルイユ・シュール・アイに移り、1910年に会社を登記し、設備の近代化を図りました。さきほど1522年にシャンパーニュに移り住んだとお話しましたが、その当初はシャンパーニュは作っておらずスティルワインを樽で出荷していました。最初にシャンパーニュを作り始めたのは1850年ごろです。

1522年はフィリポナ家がシャンパーニュに移り住んだ年いうことで長い歴史を感じます。一方でキュヴェ1522は比較的最近日本で見かけるようになりましたこのタイミングにフィリポナ家の起源とも言われる年号を冠したキュヴェを発売したのはなぜでしょうか。

CP: これは最近できた新しいキュヴェなので、まだ本数が少ないのです。今後増やしていく予定ですが、この時期に作ったのはフィリポナ社としてのスペシャルなキュヴェを作りたかったからなのです。 皆様はクロ・デ・ゴワセがスペシャルだと思われるかもしれませんが、これはフィリポナそのものではなくシャンパーニュの中としてとてもスペシャルなモノだと認識しています。そこで自分たちのブランドとしてのスペシャルキュヴェを作りたいと考えて1522をリリースしたのです。

たしかにフィリポナと言えばクロ・デ・ゴワセの畑が思い浮かびますが、この素晴らしい畑を所有した経緯を教えていただけますか。

CP: 私の祖父の兄弟が1935年に購入しました。同じ村で大叔父様がシャンパーニュ造りをしていましたのでマレイユ・シュール・アイで、彼はどこの土地が良いのかを熟知していました。1935年に畑を取得してからすぐにクロ・デ・ゴワセのシャンパーニュを作りました。

クロ・デ・ゴワセと言えば大変有名な畑です。取得にあたって何か大変なことはありませんでしたか? またシングル・ヴィンヤードでのシャンパーニュは大変珍しいですが、その当時は当たり前だったのでしょうか?

CP: 1935年当時は大変な不景気でしたし、フィロキセラの被害の後でもあったので、ワインの土地に対して揉め事は無く簡単に手に入れることができました。これがもし今の世の中だったら大変でしたが(笑)。今シャンパーニュ地方の土地を1ha買うためには、普通の土地に比べ100倍の値段がすると言われています。これはクロ・デ・ゴワセではなく普通の畑の値段です。むしろ、1935年当時は、農業用地よりもクロ・デ・ゴワセは安かったのです。今では想像できない時代ですね。

モノ・クリュについてですが、クロ・デ・ゴワセは歴史的にも初めてのシングル・ヴィンヤードのシャンパーニュです。第二次世界大戦後から評判が上がってきました…残念ながらその当時、私は生まれてなかったから値段はどうか分からないですけれど(笑)。しかし、その当時でも価格付けとしては最も高いレンジで出荷していたとは聞いています。

シャンパーニュというとアッサンブラージュが基本だと思いますが、なぜモノ・クリュのシャンパーニュを出そうと思ったのでしょうか。

CP: なぜなら、そのときにこの土地が素晴らしい土地だと認識していたからです。結果的にそれはよい案でしたね。最初にシングル・ヴィンヤードのシャンパーニュを作りたいと考えて、土地を探していましたが、その10年後にここがよいと言うアドバイスを受けてクロ・デ・ゴワセを手に入れました。

単一畑でシャンパーニュを造っているとブドウの出来の良い年や悪い年があると思いますが、悪い年は作らないのでしょうか。

CP: そうですね、悪い年は造りません。しかしクロ・デ・ゴワセは5.5haとシングル・ヴィンヤードとしては広い土地で14の区画に細分化されていますので、出来の悪い年は区画を厳選しています。例えば生産本数の多い年だと4万本ほど作られたりしますが、少ない年だと3千本ほどしか造られません。最近では、94年はクロ・デ・ゴワセ用のシャンパーニュを造ったのですが、出荷はしませんでした。

2001年はとても少ない量しか作っておらず、まだリリースしていません。たしかにおっしゃられるようにブドウの出来不出来によりますが、ブルゴーニュのように毎年味わいが変わるのも面白いじゃないですか。

日本でクロ・デ・ゴワセについて書かれていた話なのですが、村名を名乗れるのはクロ・デ・ゴワセとクロ・デュ・メニルだけという謳い文句を見た事があるのですが、これは事実ですか?

CP: いいえ、そのような決まりはありません。100%その畑のブドウであればラベルに書いても良いのです。 しかし問題は、その畑が本当に良い畑かどうかです。やろうと思えば誰でもできる。たとえばあなたがシャンパーニュに畑を持っていたとしたら、僕の庭のシャンパーニュだよとラベルには書けるのです。

シャンパーニュ地方は北方にあり冷涼で雨が多い。そのためアッサンブラージュすることで品質を安定させています。これを単一の畑だけでやろうとする方が難しいので、ほとんど単一畑のシャンパーニュが無いのでしょう。

それでは、フィリポナのシャンパーニュをどのような場所、シーンで飲んでいただきたいかなど教えていただけますか。

CP: それは毎日です!(笑)。そうですね私たちはテーブルで食事と共に楽しんでいただける味わいのあるシャンパーニュ造りをめざしています。アペリティフやシャンパーニュ・バーで楽しむのも良いですが、そればかりではなく是非、美食とあわせていただけると良いと考えています。今回の来日時に京都で河豚尽くしとシャンパーニュを合わせたのですが、これはとても良かったです。

シャルルさんは日本食も食べられるのですね、日本食では何がお好きですか。

CP: 寿司が印象的ですね。鉄板焼きやてんぷらも美味しいのですが、ヨーロッパでもそれに近い食べ物はあります。それらより、生で魚を食べる寿司が印象的です。白ワインやシャンパーニュは日本食と相性が良いと感じました。自然にマッチするというか、味わいが直に感じられ、調理も過剰ではないので辛口の白ワインとは好相性です。シャンパーニュ造りも日本食に通じるものがあると思いました。フランス料理はソースなどが重厚で赤ワインなどが良いと思っています。アジア料理と呼ばれる中でもタイ料理やベトナム料理がありますが日本料理に比べるともっと脂っぽく、スパイシーなのでアジア料理でシャンパーニュと最もあうのは日本料理だと感じています。

日本のシャンパーニュ・ファンに一言いただけますか。

CP: お祝い事以外で飲む機会が増えてきたのでしょう。今回自分が来日したのは、販促はもちろんなのですが、シャンパーニュはワインの一部だという認識をしてほしくて来日しました。お祝い事だけのシャンパーニュだけではないのですよと。シャンパーニュは食欲を促進するし、食前酒だけではなく食事と共に楽しんでいただきたいと思います。

ありがとうございました。

Lineup

Clos des Goisses 1996

クロ・デ・ゴワセ 1996

「クロ・デ・ゴワセ」は単独畑名を商品名とする希少なシャンパーニュで、「シャンパーニュにおけるロマネ・コンティ」と呼ばれることもあります。マルヌ川に面する南および南東向き、傾斜角45度の斜面に位置する5.5haのこの畑は、長い日照時間、川面からの反射光など、ブドウの生育にとって比類なき最高の自然条件に恵まれています。

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